長谷川ももかの人生録。

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両親の背中

 皆さんは自分の両親の背中を見てどう思っているだろうか。家族を守るために働き、自分を成人まで立派に育てあげてきたその背中を見て、偉大だと感じる人が多いと思う。私もその中の一人でとても立派だなと常に思っている。ただし一度だけ、その背中がひどく小さく見えた出来事があった。今日はそのことについて書いていこうと思う。

 まず、私の家庭環境についてだが、関東の某所の一軒家に父母と三人で暮らしていた。そしてそこから5分も歩かない場所に祖父母の家があった。

 母は私が生まれてすぐに職場復帰し、私はその間祖父母の家に預けられ、8:2位でほぼ祖父母の家で過ごしていた。私を保育園に入れることも検討したそうだが、虚弱体質であった私を見て、祖母が自分が面倒を見ると名乗り出たため、そのような生活スタイルとなった。

 朝は早く出勤する母に合わせて起床。朝食を手早く終え着替えもパジャマのまま祖父母の家に預けられ、母は仕事へ行っていた。私はその後祖母に身支度を手伝ってもらい祖母と一緒に幼稚園へ登園。閉園時は祖母が迎えに来てくれ(当時共働き家庭が殆どいなく、一人だけ祖母が迎えに来るのが少し恥ずかしかった。)、買い物に一緒に行きおやつを食べ午睡、起きたら遊び夕食を食べ、大体夜の9時過ぎ頃母が迎えに来て、自宅へ帰り風呂に入ってから寝る。という生活を10歳になるまで続けていた。

 普段両親との会話も少なく、それなりに不満を持っていたが、その分祖母がたくさんの愛情を与えてくれた。

 そんな時、事件は起きたのだ。

両親は仕事の付き合いで飲み会に行くことも少なくはなかったが事前に祖母に連絡を入れ、遅くなる場合はそのまま祖父母の家に泊まっていたりしたのだが、その日は何も連絡がないまま日付が変わっても迎えが来なかった。夜も遅いため、私は祖父母の家で寝かしつけられていた。たしか明け方頃だったと思う。玄関の方で何やら声が聞こえたため目が覚めた私はそっと玄関の方を覗いた。するとそこには、仁王立ちで両親を見下す祖母と、祖母の足元で土下座をしている両親がいたのだ。後に聞いた話だが、両親は仕事終わりに偶然駅で会い、そのまま飲みに行ったそうだ。そして今日くらいは連絡を入れなくても、早めに帰れば大丈夫だろうと思ったのも束の間、そのまま泥酔するまで飲み歩いて帰ってきたそうだ。もう祖母はカンカン。いくら自分から面倒を見ると名乗り出たからと言って、自分の子どもを預けて飲みに行く両親が許せなかったのである。私もそう思う。

 そんな事件があってからは、日付が変わっても帰ってこないということは無くなった。しかしあそこまで小さく小さく土下座をしている両親の姿は初めて見た。忘れられない光景である。

 どうしてうちには両親が常にいないのか、不満を抱えて生きてきたが、結婚して家庭を持った今、家事育児加えて仕事を同時に行うのはとても大変で覚悟がないとできない事だとわかる。時にはハメを外して遊びたい気持ちも痛いほど理解できる。しかしちょっとだけ、が大変な出来事に繋がる可能性もあるので気を付けていきたい。

 

それでは次のブログでお会いしましょう。