長谷川ももかの人生録。

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宿泊実習奮闘記

 年末年始の休みが終わり、世の中がいつも通りの日常を取り戻し始めたこの頃、私はいつも思い出すことがある。

それが

『宿泊施設実習』

である。

 教育福祉医療関係の学校に通っている方なら誰しもが通る実習。苦々しい日々を送ったことのある人もいるのではないだろうか。

 私は福祉系の学校に通っていたため、どう拒もうとも実習は必修。単位が貰えなくなるため必死になって実習へ行っていた。

 今回の実習は施設へ通う形ではなく、利用者が暮らしている入居型の施設へ2週間泊りがけで行われることになった。

 とても嫌である。

 とても嫌だのに、今回は二人ペアで行かなければならない。それも嫌である。(人見知り故)

 しかも相手は講義が重なったことがなく全くのはじめましての相手であった。

 実習前に顔合わせと、実習中の研究題材を決める集まりがあった。二人は簡単な自己紹介をし、さぁ題材を決めるぞとなったが、相手は非協力的な人間であることが発覚。題材もすべて私が決めて良いと言い放ち教室を出ていってしまった。実習先にはペアで揃って出向かなくてはならなかったため、待ち合わせ場所や時間も伺ったがすべて私に任せるの一点張り。もう先行きが怪しくなってきた。

 気を取り直して年明け後、実習当日。待ち合わせ場所から一言も喋らず重々しい空気のまま二人は実習先に到着した。

 到着後、職員から配属先を言い渡されるのだが(敷地内にいくつもの建物があり、各建物に利用者が5〜6人。職員が2〜3人いるという形の施設だった。)、私が配属予定だった場所でインフルエンザが発生。次の配属場所が決まるまで実習生棟で待機を命ぜられた。早々に運が悪い。

ペアの相手は別れの言葉もなくさっさと自分の持ち場へと行ってしまった。頼りにはしていなかったが、一人きりになった途端とても心細くなったのを覚えている。

 昼前となり、やっと職員から声がかかり(仮)の配属先が決まった。この(仮)というのは、そこにいる全職員にはまだ確認は取れてないけどとりあえず行ってこいの(仮)である。まだ本決定ではないため異動を言い渡される可能性もあった。

 (仮)では二人の職員が心優しく出迎えてくれた。施設での一日の過ごし方、職員の仕事、利用者のこと…とても丁寧に丁寧に教えてもらい、今出来る仕事をさせてもらった。もうここで良い…ここで2週間暮らす…と思った。しかし幸せはそう長くは続かないのだ。

 夕方頃、朝配属先を教えてくれた職員がやってきたのだ。とても申し訳なさそうな顔で。その顔で私は察した。あぁ…ここでは実習できないのだと…。

 私の読み通り、異動となった。急いで荷物をまとめて異動先に到着。出迎えてくれた職員は3人。だが先程の職員のようには出迎えてくれなかった。

 どうやらそこでは先週も実習生を受け入れていたようで、かなり嫌々だったが私を迎えてくれたらしい。もう態度から嫌々なんだろうな…という感じが出ていた。

 まず簡単なオリエンテーションが行われたのだが、実習生のやることリストが書かれた紙を渡される。終了。職員の名前も聞かされず、では仕事に戻って。という感じであった。

 仕事内容は、料理の支度や洗濯、掃除、雑巾縫いなどであった。実習の目的として、利用者と積極的に関わらなくてはならない立場だったがそれについては明記なし。まあ仕事の合間合間に関われれば良いだろうとその時は思っていたが、それが間違いだと翌日から知る。

 その日は異動した時間帯がすでに実習終了時刻に近かったため、簡単な掃除を済ませ実習生棟に帰された。

 実習生棟に帰ると、そこには他校から来た二人の女子がいた。キッチンでは鍋料理が並べられており、「おつかれ〜!食べよう!」と声をかけてくれた。

 二人は同じく今日からの実習生で一つ年上。とても気さくですぐに打ち解け合った。(私のペアは実習後すぐに部屋に引き篭もった)今日の出来事をシェアし励まし合い、料理も美味しく楽しい夜となった。翌日から続く地獄の日々を知らずに…

 朝になり私達はそれぞれの配属先へと赴いた。実習生たるもの、愛想は良くせねばと元気よく挨拶して入室。しかし挨拶を返してくれる者は誰もいなかった。代わりに「昨日リスト渡したでしょ。早くその通りに動いて!」と大声が返ってきた。人にここまで大声を出されたこともないのでたじろいたが、言われたとおり動いた方が良いなと判断し、早速朝食の準備に取り掛かった。

 施設には調理室というものが一応あったが、そこでは冷めても食べられるものしか作られず、あとは各部屋にあるキッチンで料理をしなければならなかった。家で一通り料理はやってきたが、10人分程ある料理を作るのにはかなり苦労した。当然手伝ってくれる人はいない。けれども、これを普段職員が他の仕事も抱えながらやっていると思うと、この程度はまだ序の口。つべこべ言わず精一杯やろうと思った。

 余談だが、この季節なぜか人参を使うメニューが多く、一生分の人参をみじん切りにしたり炒めたり煮たりをした。そのため今は人参を切るのが苦痛である。

 朝食が終わると、利用者が昼間の行動に移動。その間に掃除機がけ、トイレ掃除、風呂掃除、雑巾縫い、夕飯の支度を行った。

 (その間作業の確認のため、職員に話し掛けても無視。空気のように扱われた。)

 利用者が夕方帰宅、夕飯まで時間があるし自分の仕事も終わっていたため早速関わろうとした。利用者も実習生に興味津々で会話したそうに近寄ってきたり、話しかけたりしてきたため、それを拒まず受け入れようとした時だった。「あんたにはまだ仕事があるでしょう!」一人の職員にいきなり怒鳴られたのである。

「実習生が関わって事故や取り返しのつかないことになったらどうするの!」再び怒鳴られ書類仕事の手伝いをするよう指示された。

 今までの実習では積極的に利用者と会話をしないと注意されていたので、頭の中をはてなが一斉に押し寄せてきた。私の話し方が良くなかったのだろうか…それともタイミングが悪かったのだろうか…書類をまとめながらぐるぐると自分の行動を思い返した。

 その後も利用者と会話をしようとすると、雑務を言い渡され、アプローチを変えようと、目的や意図を表示した上で関わることの許可をもらいに行っても「駄目」の一点張り。 

 しかし実習後に必ずある反省会では「利用者との関わりが少ない。もっと積極的に会話をしろ」と言われる始末。余りにも理不尽である。

 実習中の悩みは職員だけではなく、日誌にも悩まされた。実習後は実習生棟で日誌を書かなくてはならないのだが、なにぶんやっていることが主婦や家政婦のような仕事ばかりなので書けることがかなり少なく、利用者と職員のやり取りを盗み見ては空白を埋め、なんとか1頁を字で埋める…という作業を夜更けまで行った。しかし努力して書いた日誌も職員に読まれることなく返却。心が折れそうになった。

 1週間実習が続いた頃、教授が施設を見回りに来てくれた。久しぶりに見知った人物との会話。心が潤っていく感じがよくわかった。教授は辛いことなどを聞いてくれた。職員に無視されていること、利用者と関わりを持てないこと、日誌を見てもらえないこと…辛いことがポンポン出てくる私の話を全て聞いてくれて、施設側にも掛け合ってみると言ってくれた。とても嬉しかった。空気のように扱われているけれど、残り1週間も頑張ろうと思った。

 残りの1週間はまぁいつもと変わらず。話し掛けても基本は無視。教授が掛け合ってくれたにも関わらず利用者との関わりは増えず、最後まで日誌を見て貰えなかった。けれども毎晩支えてくれた他校の生徒のおかげでなんとか乗り切った。もう最後はヤケクソになって実習していたと思う。(それでも褒められたことがあり、それが米を洗剤で洗わなかったことと、ぬか漬けのぬかを洗ってから切ったこと。なんだそれ。)

 (本当に役に立ったとは思えない)2週間の実習を終え、家へ帰宅すると今まで堪えていた涙が溢れてきた。それを見た父親はなぜか嬉しそうに「社会の理不尽さを思い知ったか!」と笑っていた。

 今は学校を卒業して仕事に就いているが、実習生を受け入れるような仕事ではないし、後輩もまだいない。けれどもこの経験をしたからこそ、目下の者には優しく諭して行こうと決めている。

 実習生は辛い思いをして当たり前という風潮を目の当たりにしたが、それで本当に人は育つのだろうか?才能ある子が実習を苦に辞めていったケースもある。もちろん現場につけばもっと過酷なこともあるため、厳しく接することは必要だとは思うが、無視したり怒鳴ったり、まるでイジメやパワハラのような扱いをする必要性はあるのだろうか?もう少し優しい社会になるといいなと思っている。

 

長文乱文失礼しました。それではまた次のブログでお会いしましょう。